Rassvet 歩行編

久々にお手入れする上でちょいと模様替え。読んだ本とか行った場所について買いてくつもりです。

下学上達の本棚:第28回「ヒゲのウヰスキー誕生す」川又一英

「マサタカさんは大きな夢に生きていらっしゃる。その夢は日本で本当のウイスキーを造ることですね。わたしもその夢を共に生き、お手伝いしたいのです」
(リタ「ヒゲのウヰスキー誕生す」川又一英)
 

 「花子とアン」もいよいよ佳境ですね。戦争が終わって赤毛のアン出版までの話でラストなんでしょうけど、どうなるんでしょう。ちゅかここまで「アン」の部分引っ張るってのもすごいな。最終回ラストまでロボが出てこない松本零士の漫画版ダンガードAみたいな。

 一方でこの文章を書いてる2014年9月16日現在では、18日にスコットランドが独立するか住民投票で決めるぜ!と騒いでおり、大英帝国も佳境を迎えた感がありますな。
 さて、そんなスコットランドと日本を舞台としつつ、「花子とアン」の次の連続テレビ小説となるのが「マッサン」です。今回は、その物語のモデルとなった竹鶴政孝と妻リタについてを描いた「ヒゲのウヰスキー誕生す」をご紹介します。

 

ヒゲのウヰスキー誕生す (新潮文庫)

ヒゲのウヰスキー誕生す (新潮文庫)

 

 

 

 

 この本はノンフィクションノベルというかドキュメンタリーノベルというか、ちょっと変わった形式をとった伝記小説です。プロローグとエピローグにて、著者の川又氏がスコットランドなどで取材した様子を描いたドキュメンタリーが描かれているのですが、それ以外の部分は竹鶴政孝を主人公にした伝記小説となっています。
 もともと広島県は竹原の造り酒屋出身だった竹鶴は、大阪の高校で酒造を学び、卒業後は摂津酒造という洋酒メーカーに就職します。ここはブランデーやウイスキーを造っていたのですが、製法はあくまで我流の模造品。本場スコッチウイスキー味とは天地の開きがありました。
 「もし本物のウイスキーの味を日本人が知ったら、英国産のものしか売れなくなってしまう。その前に、技師を留学させて本物のウイスキーをつくれるようにしなくては…」という摂津酒造の社長の考えのもと、若く優秀な竹鶴が英国留学に派遣されます。
 
 ときは第一次世界大戦まっただ中、アメリカ経由でイギリスへ渡った竹鶴。ユーラシア大陸経由はドンパチやってて非常に危険なので、太平洋をつっきるしかありませんでした。下手すればアメリカからイギリスへの航路でドイツの潜水艦に撃沈されてたかもしれませんが、運良く無傷でスコットランドにたどり着きます。
 そこで竹鶴はウイスキー造りの本を著した学者先生に教えを請いますが、足元を見た高額の謝礼を要求されたことに憤り、突っぱねてしまいます。とはいえその先生以外にウイスキー作りを教えてくれる人間の心当たりなどない竹鶴。あちこちの蒸留所に実習をさせてくれるよう頼んで回りますが、うまくいきません。…なんというか、割と向こう見ずな男です。
 しかし、そんな中である蒸留所が実習を許可してくれます。初めて実際のウイスキー製造現場を目の当たりにする竹鶴は、衝撃を受けつつも、ウイスキーを造る職人達から日本酒造りの杜氏達に通じる精神を感じます。
 自分で積極的にお願いして回った成果か、他にも作業をやらせてくれる蒸留所を見つけることができ、あちこちの蒸留所で竹鶴は勉強していきます。
 そんな中、ある邸宅の少年がジュージュツを習いたいから教えてやってくれと人に頼まれた竹鶴。そこの家で出会った女性が、妻となる女性リタでした。
 遠い異国の地で孤独に勉学に励む竹鶴と、婚約者を第一次世界大戦で亡くし孤独に暮らしていたリタは惹かれ合います。
 しかし遠い外国人同士の恋愛、当然のごとく、お互いの家族に強烈に反対されますが、それを押しのけて二人は結婚します。
 
 ウイスキー作りの知識と技術を修めて日本に帰ってきた竹鶴と、初めて日本の土を踏むリタ。最初は大反対していた竹鶴家も、「国が違えど人情は一緒」ということで二人の結婚を認めます。
 この間に「実は竹鶴を送り出した摂津酒造の社長は娘を竹鶴にやろうと考えていた」なんてベタベタな話もあったりするので、ドラマのほうだとこの辺を取り上げるんでしょうな。まあどうでも良いことです。
 日本に帰ってきた竹鶴は早速本格的なウイスキー作りに着手しようとしますが、残念ながら時代が許しませんでした。
 未曾有の大戦景気に湧いた日本経済は、戦後恐慌の嵐によって息も絶え絶えの状況。とても新しい設備を投資してウイスキー作りを始める余裕はありません。社長は竹鶴の意をくんで取締役会でウイスキー製造計画を話しますが、銀行出身の役員に「そんな金ないし銀行も貸さないよ」と言われ断念します。銀行員は冒険が嫌いですね。
 しかし本物のウイスキーを知ってしまった竹鶴は、もはやこれ以上、模造ウイスキー作りをすることができません。
 何もかも違う、あの味、あの香り…
 
 当てもないまま退職した竹鶴でしたが、彼の持ってる唯一無二の技術が放っておかれるわけがなく、本格ウイスキー作りに乗り出そうとしていた寿屋(現サントリー)によってスカウトされます。
 大阪は山崎の土地で、ようやく念願の本格ウイスキー作りを始めた竹鶴。
 しかし、ウイスキー作りとはとにかく時間のかかるもの。経費だけはかさむのに、何年たってもウイスキーを出荷することができません。蒸留したウイスキーは、寝かせる年月が長くなるほどうまくなるからです。しびれを切らせた寿屋社長の鳥居は、4年ものを「白札サントリー」として売り出しますが、「焦げ臭い」と不評を買い売れません。
 寿屋の事業再編をきっかけに、竹鶴は独立を決意します。本物のウイスキーを造るために。
 
 そして竹鶴自身が社長となったウイスキー会社大日本果汁株式会社が北海道余市にて築き上げられます。
 なんでウイスキーで果汁?と思いきや、当初はウイスキーが売れるまでのつなぎとしてリンゴジュース会社としてやっていくつもりだったからだそうです。
 しかしこのジュースもまた売れず、くるしい経営が続きます。かといって、毎年の麦の仕入れやウイスキー造りを中断するわけにはいかないのです。ウイスキー造りは気の長い投資を続けられるかどうかが勝負なのです。
 耐えに耐えた日々の末、ようやく、竹鶴の満足のいく製品が、ニッカウヰスキーが、誕生します。
 しかしその頃になると、世の中は日中戦争から太平洋戦争へと、暗い影を落とし始めていました…
 
 さて、竹鶴とリタがその後どうなったか、ぜひ読んで確かめてみてください。
 朝ドラが始まる前の史実の予習としてもオススメです!
 
 ウイスキー造りを闘いに例えれば、時との闘いといってよい。闘いに勝つ原動力は、たんなる技術でも設備でも資本力でもない。スコットランドでハイランドの住人たちが古くから守り続けてきたように、大麦と水と草炭と空気の働きに委ねて、一人前のウイスキー原酒に成長するまで、辛抱強くいとおしんでやることだ。
(「ヒゲのウヰスキー誕生す」川又一英)

 

 

 

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