Rassvet 歩行編

久々にお手入れする上でちょいと模様替え。読んだ本とか行った場所について買いてくつもりです。

下学上達の本棚:第16回「空気の発見」三宅泰雄

 このガリレイのような心がまえを、私たちは「科学的精神」とよびます。いいかえれば、科学的精神というのは、自分のなっとくできないことは、それが、どんなに、えらい人がいったことでも、また、たとえ、千人、万人が昔から信じていることでも、あるいは、それに反対したために、牢屋に入れられようとも、自分で、目方をはかり、時計で測定し、そのうえで考えて、たしかに、自分の考えが正しいと実証したことを、なによりもたいせつにすることであります。

(「空気の発見」三宅泰雄)

 

 私のような文系人間にとって、「元素」「化合物」「気圧」といった単語は攻撃呪文のようなもので、唱えられるだけで「ぐえー!わからん!」となってしまいます。

 しかしそんな私でもサクサク読み進められ、かつ「面白い!なるほど!」と膝を打つような本、「こんな風に学校で化学を教わっていたらな…」と思わせる本、それが「空気の発見」であります。

 

 

 

空気の発見 (角川ソフィア文庫)

空気の発見 (角川ソフィア文庫)

 

 

 

 

 ガリレオ・ガリレイによって「空気にも重さがある」ということが発見されました。

 それまで世の人々は「空気」を「空」…なにもない、そら…と「気」…きもち、たましい…と書いた通り、なにか「たましい」のようなものだと考えていました。空気を石や木と同じ「モノ」とは、どうも言い切れないと考えていたのですね。これは日本のみならずヨーロッパでも同じでした。

 しかし「科学の父」ガリレオによって、空気は「たましい」のような実体の無いものでなく、水や金属と同じで重さを持つ「モノ」であると明らかになりました。

 ご存知の通りコペルニクスの地動説を支持し天動説を否定して迫害されたガリレオは、不遇のうちに死にました。しかしガリレオ亡き後も、多くの科学者たちが空気を分析し、空気の性質を解き明かし、空気に含まれるさまざまな元素を発見していきます。この本で描かれているのは、そうした科学者たちの何世代にもわたる研究と戦いの物語です。

 戦い?そう、科学者たちは、その時代に真実とされる(でも根拠の無い)ことに真っ向から逆らう場面が多々あります。そのため、時の為政者や権威を持つ者たちによって迫害され、殺されることすらありました。しかし、それでも科学者たちは自分の考えこそが真であると言うことをやめませんでした。

 なぜなら、彼らは精密な実験に基づいた定量的な結果から、自分の考えを作り上げたからです。多くの人は「神様がそう言ってるから」「常識的に考えてそんなはずはない」と、あいまいな理由で考えているが、自分の考えの根拠に曖昧なところは少しも無い。

 時々弾圧されたり処刑されたりしましたが、それでも科学者たちは営々黙々と研究を積み重ねて行きます。

 トリチェリー、パスカル、ファン・ヘルモント、メイヨウ、ボイル、プリーストリ、ラボアジェ、キャヴェンディシュ、ドールトン…その他にも様々な科学者たちが登場し、彼らの人生とともに、発見した知識が紹介されていきます。

 歴史のストーリーと化学の知識を同時に語ることで、その事実の持つ意味・意義が心で理解できます。ああ、ぼくもこんな語り方で歴史と化学を教わりたかった!

 数式など少し難しいところもあるのですが、中学生くらいなら十分に読める平易な文章で、おまけに130pくらいの短さで読みやすい。万人にオススメできる良本です。

 

 私は、科学教育が科学史とむすびついてなされることを、かねがね主張している。科学的精神をふきこむといっても、科学を創造した人々の思想や生活に、ふれずして、とうていその真髄を理解することはできないであろう。また、私は、科学教育は記憶を重んずるつめ込み主義ではなく、科学の発展してきた論理を生徒に理解せしめることに重点をおかなければならないと考えている。

 この書物は、著者の、このような考えをある程度、実現してみたいと思って試みたものである。………

 (「空気の発見」三宅泰雄)