Rassvet 歩行編

久々にお手入れする上でちょいと模様替え。読んだ本とか行った場所について買いてくつもりです。

下学上達の本棚:第6回「オシムの言葉 増補改訂版」木村元彦

 彼は偉大であり、また偉大であり続けるのだ!

 (ドラガン・ストイコビッチオシムの言葉 増補改訂版」木村元彦

 

 頭の中に世界地図を思い浮かべて、次の国名がどこにあるどういう国か、すぐに答えられるでしょうか。

 

  1.  スロベニア

  2.  クロアチア

  3.  ボスニア・ヘルツェゴビナ

  4.  セルビア

  5.  モンテネグロ

  6.  コソボ

  7.  マケドニア

 

 かつてユーゴスラビアと呼ばれた地域は、今はこれらの国々に分裂しております。それぞれの国民は、決してお互い仲が良いものではありません。しかしおよそ25年以上前は、同じ国の国民として、ともに泣いて笑って生活していたわけです。

 分裂する前、いちばん最後に彼ら彼女らが興奮と感動を共有した出来事は、1990年のワールドカップ、イタリア大会でした。

 そのユーゴスラビア代表チームの監督をしていた男こそ、2006年に日本代表監督となったイビツァ・オシムでした。

 

オシムの言葉 増補改訂版 (文春文庫)

オシムの言葉 増補改訂版 (文春文庫)

 

 

 

 オシムが日本人に知られるようになったのは、2003年にジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)の監督に就任したときからでしょう。

 彼は選手を徹底的に走らせ、考えさせるという練習を行いました。

 走り込みの練習はもちろん、練習試合で負けた選手に罰として走らせたり、とにかく走る力、走る意思を鍛えたのです。

 走らせる練習をさせる中で、「ここまでで良いだろう」という勝手な満足や、言われたことに従うだけの態度をオシムは厳しくいさめました。

 

 「お前ら、なんで助けにいかないんだ!」

 言われた意味が分からない。監督は1対1をやれと言ったのではないか?

 「1対1で攻めきれずに苦しんでいるのなら、サポートに行って2対1にすればいいじゃないか」

 日本人的思考でいけば、監督の最初の指示に従っているのだ。だいいち、1対1で助っ人が入ったら、フェアーじゃない。

 ところがオシムは、実践で1対1が5秒も6秒も続くシチュエーションは無い、なぜ指をくわえて見ているんだと言う。漫然とメニューをこなすな、自分でも考えろ、という。

(「オシムの言葉 増補改訂版」木村元彦

 

 目の前のワークに集中するだけでなく、その意図、その状況が持つ意味なども考えさせます。今フィールドで何がおこっているのか、自分がどこでどう動くことが今必要なのか?

 オシム思考と創意工夫を、選手たちに強く求めたのです。

 最初は反発していた選手たちも、やがてオシムの意思を受け止め、変わっていきました。その結果、2005年のナビスコカップジェフ市原ガンバ大阪を下して見事優勝するのです。

 

 この本を読んで思うのは、オシムとは実に優れた「教育者」であるということです。悩み苦しむ若い選手たちに指導や助言を与えるとき、その言葉遣いやタイミングを、本当に的確に選んで行っているのです。少しでも他人に何かを教えた経験のある人ならわかるでしょうが、これは本当に難しいことです。

 それが出来るためには、まず助言を与える相手のことを、とことんよく見て理解することが大事です。まあそれが難しいのですが。

 ジェフの選手たちはみな、マスコミを通じて伝えられるオシムのコメントに「監督はそんなに自分の思いを知っていたのか」と驚いたそうです。

 オシムをそのような人物に鍛え上げたのは、やはり環境によるものも大きかったでしょう。崩壊するユーゴスラビアの代表監督、宗教や民族の違う人々を一つにまとめて戦う役目…

 

 ユーゴ内戦において、オシムの祖国ボスニアセルビア軍に攻め込まれ、そこに暮らす人々は虐殺や民族浄化などの大きな災難に見舞われました。オシムの生まれ育った首都サラエボもまた、セルビア軍に包囲されていたのです。

 そんな中でもオシムは、セルビアベオグラードにあるパルチザンというチームの監督としてリーグ戦とカップ戦を戦っていました。そしてカップ戦で優勝すると、オシムは記者会見で辞任を表明しました。オシムを敬慕して泣いて引き止めるセルビア人の選手たちや、サポーターたちを振り切って…

 のちに作者の木村元彦が取材でボスニアを訪れたとき、サッカー場まで送ってくれたタクシー運転手のイスラム女性に話を聞きます。その時を彼女はこう振り返りました。

 

 「オシムは、あの頃、サラエボの星だった。食料はなくなるし、狙撃を恐れて街を歩けなかった。寒くて、凍えて……。誰が誰にレイプされたとか……。信じられず、仲が良かった友人が、密告し合う……。想像を絶する暮らしが私たちを待っていた。そんな中で、オシムが我々に向けて言った言葉、『辞任は、私がサラエボのためにできる唯一のこと。思い出して欲しい。私はサラエボの人間だ』……そしてその後の彼の活躍を、皆が見ていた」

 ファティマは言い切った。

 「間違いなく……わが国で……、一番……、好かれている人物です」

 (「オシムの言葉 増補改訂版」木村元彦

 

 先日のワールドカップブラジル大会に出場したボスニア・ヘルツェゴビナは、国内でクロアチア人セルビア人ムスリムの3派が分かれて対立していました。

 それがサッカー協会にも深刻な組織対立をもたらし、FIFAUEFAへの加盟停止処分を受け、ワールドカップ予選に出場できない事態になっていました。

 そこで問題解決のため「正常化委員会」が立ち上がり、その委員長としてオシムが就任、組織の統合を行います。そしてモチベーションの上がった選手たちは強豪を押しのけ、ついにブラジル出場を勝ち取ったのです。

 残念ながら日本と同じくグループリーグ敗退となってしまいましたが、いまだ新しく困難な状況にある国家の代表がワールドカップで1勝をあげたわけで、すごいことであります。

 

 オシムのような深謀遠慮、精神力や判断力、不屈の行動力を身につけるのは容易ではありません。

 しかし、悲劇的な運命を乗り越えずとも、本を読むことで少し学べることもまたあると思います。

 

 ーー監督は目も覆いたくなるような悲惨な隣人殺しの戦争を、艱難辛苦を乗り越えた。試合中に何が起こっても動じない精神、あるいは外国での指導に必要な他文化に対する許容力の高さをそこで改めて得られたのではないか。

 「確かにそういう所から影響を受けたかもしれないが……。ただ、言葉にするときは影響を受けていないと言った方がいいだろう」

 オシムは静かな口調で否定する。

 「そういうものから学べたとするなら、それが必要な物になってしまう。そういう戦争が…」

(「オシムの言葉 増補改訂版」木村元彦