Rassvet 歩行編

久々にお手入れする上でちょいと模様替え。読んだ本とか行った場所について買いてくつもりです。

下学上達の本棚:第8回「暖簾」山崎豊子

「浪花屋はん、銀行いうもんは確かな堅いものにしかお金お貸しできまへん。あんたは家を抵当にして借金して建てた工場がやられたとこやおまへんか、それに今度は一体、なにを抵当にして借金しはりますねん」

「抵当だっかーー」

思わず、声に力がこもった。

「おます、おまっせェ」

吾平の眼は一瞬、怒気を含んで相手を見据えた。

「本家から分けていただいた浪花屋の暖簾が抵当だす、大阪商人にこれほど堅い抵当はほかにおまへん、信じておくれやす、暖簾は商人の命だすーー」

(銀行員、八田吾平 「暖簾」山崎豊子

 

 「白い巨塔」「沈まぬ太陽」など、映画やドラマ化もした大ヒット小説の数々を書いた作家、山崎豊子

 読み応えあるのに軽妙な文章、企業や社会の抱える闇に切り込む鋭い問題意識、その前提となる深い取材力を併せ持った作家でした。

 2013年に亡くなった彼女は、そもそも大阪船場の昆布商「小倉屋山本」の娘として生まれました。毎日新聞で記者をやりながら小説を書き始めます。その処女作が、生家を舞台に取材・調査を重ねた「暖簾」です。

 

暖簾 (新潮文庫)

暖簾 (新潮文庫)

 

 

 

 「暖簾」は二部制になっており、第一部は昆布商『浪花屋』に丁稚から叩き上げ、苦労の末に暖簾分けで店を築いた「八田吾郎」が主人公。第二部はその跡継ぎで次男の「孝平」を主人公として、明治から高度成長期までの親子二代にわたる大阪商人の姿を描いた小説です。

 「大阪商人」というと、「もうかりまっか」「ボチボチでんな」というやりとりが真っ先に思い起こされます。とにかくケチで金にがめつく、声がでかくて押しが強い。そんなイメージが強いのではないでしょうか。

 山崎豊子自身、「しぶちん」(大阪弁で「けちんぼ」)という小説を書いておりますし、この「暖簾」の中でも、細かい金勘定にこだわる商人の姿がよく描かれています。

 じゃあ実際「大阪商人」というのは、際限なく金銭だけを求める儲け至上主義なのかというと、そうではありません。

 ケチで金にがめつくて押しが強いのは、すべて「大阪商人」としての商業道徳、モラルの問題なのです。

 この本で描かれているのは、「大阪商人としての誇り」です。その誇りは「大阪商人としての商業モラル」…この小説ではしばしば「ど性骨」と書かれます…から生まれるものであり、「大阪商人の誇り」が物質的に具現化したものが「暖簾」なのです。そしてまたその「暖簾」が、「ど性骨」を育むのです。

 

 「阿呆たれ!大阪は人間でいうたらへそや、大阪商人が闇稼ぎしたら、日本中にほんまの商人無うなってしまよるわ、大阪商人の根性はなあ、信用のある商品を薄利多売して、その労苦で儲けることや、大阪の根性も知りくさらんと、ど性骨叩きあげたろか、闇屋、帰りくされ」

(八田吾平 「暖簾」山崎豊子

 

 主人公の吾平は百姓の息子で、そ商人の縁は無かったので、苦労に苦労を重ね、その苦労によって一歩一歩成長し、商売を大きくしてきた人物です。その苦労が実際にどんなものなのか、その辺のリアリティはさすが山崎豊子という感じです。とても処女作には思えません。

 この苦労こそが、吾平に「ど性骨」、大阪商人の商業モラルを叩き込んで行くのです。

 そしてその吾平のあとを継いだ次男の孝平もまた、現代の中で生きつつも大阪商人の伝統を継いでいるのです。

 

 「そうや、大学を出てても丁稚になりきれるところが、大阪商人の面白さやないか、経済や商科を出ても、暖簾の前へ立ったり、厚司着たり、前垂れかけたら、大学出やというより先に商人のど根性が先へどかんと来る、大阪の街いうものは、何かそんなものを造りあげてしまう奇怪な力持ってるなあ」

 (孝平 「暖簾」山崎豊子

 

 この時代の大阪商人にあるのは、「大阪こそ日本の商業の中心である」「大阪商人は他のどの地域の商人とも違う」という強烈なプライドです。

 そして「暖簾」は、このプライドを育む大阪という都市の変化、東京に従属する地位に甘んじていかされる姿を、裏のテーマとして描いているのです。

 

 戦争中の統制経済を境にして、日本の経済の中心は東京に移ってしまった。しかも中国、満州を失って貿易を中心とする大阪の商活動、中小企業も火が消えたようになり、大阪の大きな経済力を握っていた船場の個人商店も復興力を失ってしまっている。経済力の殆どの分野が東京に奪われて、かつての商業都市も無力になっている。そんな経済力の敗北が、微妙にテレビの画面にまで反映しているように、孝平には思えた。

(「暖簾」山崎豊子

 

 その大阪の凋落にあらがいうるのは、大阪商人の暖簾と、暖簾が支える人々のど性骨であるということを、山崎豊子は描いていたのです。

 

 ひるがえって今日では、東京もまた凋落する都市の一つになりつつあります。

 オリンピックの後にもすぐやってくるであろうその時に、凋落の中でも己を支えるプライドと商業道徳、「暖簾」と「ど性骨」が問われるのかも知れません。