Rassvet 歩行編

久々にお手入れする上でちょいと模様替え。読んだ本とか行った場所について買いてくつもりです。

「記憶に残る風景」 #地元発見伝

「記憶に残る風景」 #地元発見伝

https://www.google.com/maps/preview?q=35.73529%2C139.690656
豊島区, 東京都

地元の魅力を発見しよう!特別企画「地元発見伝
http://partner.hatena.ne.jp/jimoto/

 生まれてからこのかた、あちこちを転々と移動するのが人生の常となっているようで、10年同じところに住んだ試しがない。

 しかし幼いころに住んだ土地は、たとえ親戚縁者がいなくとも自分の中では故郷のような扱いになるようで、豊島区要町は自分にとっての地元であると言える。

 だがここを離れたのも小学二年生の秋口だったから、土地についての知識などあってないに等しい。ましてや、この写真に写る豊島区立平和小学校は、ご覧の通り鉄柵で囲われて取り壊されている。この写真ではまだ体育館が残っているが、おそらく今はもう撤去されているだろう。

 私が転校してから数年で入学者が1人2人となり、廃校する運びになったのは、少子化ドーナツ化現象の象徴のような出来事であった。

 もとから大して歴史のない学校ではあったが、1学年1クラスと規模が小さい分、大人たちの目が隅々まで行き届いていた学校だったと思う。

 1クラスのなかにも30人いるかいないかという少人数教育だったので、教師としても一人一人よく面倒を見ることができたのだろう。ほぼ面識のないはずの6年生の先生が1年生の自分の顔と名前を覚えていたので、驚いた記憶が有る。全校生徒あわせても100数十人なので、その気になれば全員の顔と名前くらい覚えられるのだ。

 だから上級生も下級生のことをよく知っていたし、下級生も上級生をよく知っていた。同級生で何か問題があって解決しがたい時は、馴染みの上級生に相談することもしばしばあった。

 学校のすぐ裏には小さな神社があり、祭りには生徒教職員ほぼ全員が参加していた。神輿を担いだことくらいしか覚えていないが、割と賑やかな祭りだったと思う。学校でのイベントも多かった。校舎に大きな白い布を垂らして、夜中に映画鑑賞会をやったりした。PTAが夕食にカレーを用意してくれて、それを食べながらのお祭りで、非常に楽しかった。

 この学校の周囲にはわりかし新しいマンションや一軒家が多く、そこに他所から引っ越してきた住人たちが息女を通わせていたのだろう。

 都内は地域社会の交流が少ないような言い方をされがちだが、少なくとも要町のあたりでは、新しい住民も古くからの住民も含めた地域社会がちゃんと機能していたように思う。その後引っ越した郊外の団地では要町よりも地域社会が薄く、都内のほうがよっぽど人付き合いが濃密であったように思う。

 

 豊島区のホームページを見るに、ここは図書館や老人ホームなどの複合施設になるようだ。

 小学校はもはや思い出の中だけの存在になってしまったが、地域の人々を結びつけるような場所としてこれからも機能してほしい。