下学上達の本棚:第33回「赤い雪 勝又進作品集」勝又進
とろりとろりと今する酛は酒に造りて江戸へ出す
江戸へ出しては名のあるお酒酒は剣菱桜心桜心より剣菱よりもわしの好いたは色娘(「赤い雪」勝又進)
漫画というと、基本は現代劇かSFです。時代劇…といっても日本の江戸時代だけでなく、他の時代や海外の昔の話を舞台にする作品というのは、漫画全体の割合からすれば少ないものです。どうしても取材とか資料あつめとか必要になるし、細かい生活様式とか分からない部分も多かったりしますし。
そういう面倒を考えると、現代や未来を舞台にしちゃったほうが物語や絵を作る時にまだ手間がかからないものです。時代劇であっても、服装だけ羽織袴で中身の考え方や動作は現代人というのもよくある話。
で、場所はほぼ間違いなく江戸。明治以降の話なら東京。現代劇ですら、「東京っぽいどこか」が舞台になります。最近だと地方を舞台にした物語とかも増えてますが、単にそこでロケハンしてるというだけで、方言とかはしゃべらず(あっても関西弁)、結局どこでも良いような構造になってます。
さて今回紹介する勝又進の「赤い雪」。これはいまとなっては昔の話…江戸〜明治大正昭和の東北を舞台とした話の短編集です。
作者は宮城県石巻市の出身なので、おそらくそのあたりを特にモチーフにしてるのでしょう。宮城弁(これもまた仙台弁とか三陸弁とか色々ありますが、僕もそこまで詳しくわかりません…)を使う農山漁村の人々の出来事を描いた作品群です。
そこに描かれてるのは侍の切ったはったや戦争だなんだでなく、ただ農村で生活してる人たちの姿なのです。あるいは、炭焼きをしてくらす山村の人々、湯治場で暮らす少年少女、村を渡り歩く門付の芸人たち、酒蔵で働く青年…
何十年か前には日本中にあったであろう光景のなか、切ない事やいやらしい事、楽しい事や恋しい事、不思議な事や悲しい事を描いている、そんな短編です。
土着感とでも呼ぶべき民俗学的なモチーフがあちこちに使われている作風は、いまとなっては他にこういう作品を描く人が見当たらないようなものです。しかし巻末付録の年表によると、作者の勝又進さん自身は、大学院まで行って原子核物理を学んだバリバリの理系だとか。そのギャップに驚きましたが、理科系の学問を修める反動が創作作品に現れるのかなあなんて思ったりしました。
なんとも言葉でこの作品の魅力を伝えるのは難しいのですが、漫画を支えるのはやはり絵。この作品は台詞やモノローグで読者に気付かせる今時の漫画でなく、最小限の台詞と、風景やキャラのしぐさなど、「絵」で読ませる作品です。
明かりの少ない農村の深い暗闇、雪の冷たさ、秋空の澄んだ青さなどが、白と黒だけで表現されるその風景画だけでも見る価値ありです。
作品の中身についてこれほど語りにくい漫画もないですが、心の底にある土着的な何かに触れる、数少ない貴重な漫画です。
是非ご覧になってください。オススメです。
………この十数年、マンガ家たちは日常生活の延長上に社会を描くか、架空の未来の中に社会を描く事しかしてこなかった。ほんの少し前、まだ近代化・均質化という強大なローラーに押しつぶされない社会では、澱み、屈折し、それゆえに噴出しそうにもなる情念を人は抱えていた。今、逆に、失われたその手触りや匂いを求めて、東南アジアやアフリカへ旅行する人が増えている。物見遊山は、それはそれでよかろう。だが、もっと得心のゆくものが、勝又進の短編の中に見つかるはずだ。それは、懐かしく、悲しく、滑稽で、たぶん少し深いでもある人間の生そのものの姿である。(呉智秀)
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